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大阪地方裁判所 昭和31年(わ)1376号 判決 1956年10月22日

本籍 韓国慶尚南道蔚山郡下廂面珍庄里以下不詳

住居 神戸市須磨区大田町八丁目六番地権聖根方

無職 安東昭治こと 権善五

昭和三年三月三日生

右の者に対する強盗殺人、強盗殺人未遂、窃盗、強盗殺人未遂、強盗、強盗殺人強盗未遂被告事件について当裁判所は検察官藤川健出席の上審理を遂げ次のとおり判決する。

主文

被告人を判示第一ないし第五の罪につき懲役十五年に、判示第六ないし第九の罪につき死刑に処する。

当裁判所領置にかかる麻繩一本(昭和三十年裁領第一〇四〇号の三)はこれを沒収する。

当裁判所領置にかかる中古茶皮製手提鞄一個(同号の一)は、被害者酒井啓祐にS、W・口径〇・四五吋拳銃一挺(拳銃番号一一、七一八号)(同号の二十六)、実包六発、空薬きよう二個、クリツプ二個(同号の二十七)空薬きよう五個、クリツプ二個(同号の二十八)、空薬きよう二個、クリツプ一個(同号の十六の一部)は被害者神奈川県警察本部警務部警務課長に、靴ベラ付自動車鍵二個(同号の十六の一部)は被害者アサヒタクシー株式会社に、白色ズツク製リユツクサツク一個(同号の十八)は被害者株式会社東海銀行大阪支店にそれぞれこれを還付する。

理由

被告人は本籍地の韓国慶尚南道蔚山郡下廂面で権柄珠(昭和二十四年に死亡)の次男として生れ、五才の頃母に伴われて当時神戸市内で土工兼植木職をしていた父の許に渡来し、爾来同市内で両親の養育を受けて生長したが、生来腺病質で余り健康には恵れず、又神経質で潔癖である反面、その性格は極めて強い方であつた。そうして同市で小学校を卒えたが、十分な教育をさせたいと願う兄等の援助により、兵庫県立青谿中学校に入学し、やがて両親等が疎開後は、同市灘区高尾通二丁目の妹背虎之助方の二階に間借りして自炊生活をしながら通学し、昭和二十一年二月には右中学を二年で中退して関西大学専修法科に入学した。しかるにその頃被告人が間借りしていた妹背方には有光キサヨ、同桂子の母子が同居するようになつて同人等とも親しくなり、翌昭和二十二年二月被告人が右関西大学専修法科を修了して後は、右有光キサヨにすすめ、同女との共同出資の下に、神戸市内でダンスレツスン場「摩耶学生クラブ」を経営するようになつた。そうしてその頃被告人に好感を抱いていたキサヨからその娘桂子との結婚をすすめられ、最初のうちは自己が韓国人であるためそれをためらつていたのであるが、日本に帰化しさえすればよいと考えて、桂子と交際するうち、互に愛情を抱くようになり、その頃ついに同女と肉体関係を結ぶに至つた。しかしその後、右「学生クラブ」の経営も思わしくなかつたので、被告人はそれから手をひき、しばらくの間神戸市内の三洋貿易株式会社に勤務していたが、給料が安い上自己が韓国人であることを卑下し、それが知れるのをおそれてそこをやめ、昭和二十三年四月頃には進駐軍の神戸六甲ハイツのハウスボーイとして住込みで働くことになり、従つて桂子とも別居するようになつたが、同女との関係は、依然つづけられていた。そうしてその頃、被告人の母が前記「学生クラブ」へ朝鮮の服装で被告人を尋ねてきたことから、被告人が韓国人であることが有光母子に知れ、同人等との折合も悪くなり、勢い桂子との結婚問題も行き悩みの状態にはなつたが、桂子は被告人に対し深い愛情を抱いていたし、又被告人の将来のことをも憂慮し、悩みながらも同人との関係をつづけ、その後被告人が前記六甲ハイツのハウスボーイから米国領事館のハウスボーイとして住込勤務し、昭和二十五年春頃そこをやめて前記妹背方に帰るに及び再び同人との同棲生活が始つた。しかして同年五月頃には被告人は更に神戸新聞社広告部の臨時雇として働くようになり、そこの仕事は被告人の性質にも合い又努力の甲斐もあつてか成績もあがり、遂に被告人は正社員にさえ採用されるようになつたので、自己の将来に大きな希望と光明とを認め、大いにそれを喜んだがそれには戸籍謄本を出さなければならないのであり、そうすれば被告人の韓国人であることがすぐにわかるので自尊心の強い被告人はそれをおそれて、同年末又もや右新聞社をもやめ、その後は当時罹患していた胸部疾患の療養や、兄権聖根の仕事の手伝をしながら自己の就職先を見付けることに専念焦慮していた。かくして、

第一、被告人は昭和二十六年一月五日午後二時頃、就職口を求めて神戸市内フランス領事館に赴く途中、その所在をたずねる目的で同市生田区中山手通三丁目所在の同市生田警察署中山手巡査派出所に立寄つたところ、偶々同所勤務の巡査が不在であつたところから不図拳銃が欲しくなり、同所休憩室押入等を探したが遂に之を発見し得なかつたので、拳銃の代りに同所休憩室内にあつた同署巡査部長酒井啓祐所持又は所有の黒羅紗地巡査部長用外套一着、茶牛皮製手提鞄一個(証一号、すなわち昭和三十年裁領第一〇四〇号の一、以下同号の二、三、・、・、・の各証拠を順次その番号に従い単に証二号、三号、・、・、と略記する)及び同署巡査折目昭朗所持の巡査制帽、装備用帯革(附属品を含む)警棒、手錠(番号二四〇三号)各一点を窃取した。

第二、しかしその後も被告人は前記の如く自己が韓国人であるためよい就職口が得られないのみか、折角就職口を探しても韓国人であることを卑下してすぐ辞めねばならず、又深い愛情を感じていた有光桂子との関係も韓国人であることが知れてからは思わしくなく、更に自己の胸部疾患も容易に癒えず、健康にも自信が持てなかつたので、自尊心と虚栄心の強い被告人は、遂に正しい前途の希望と光明とを失い、半ば自棄的の気持から遂に前記窃取にかかる外套等を着用して巡査部長の如く装い巡査派出所より拳銃を窃取し、該拳銃を使用して銀行を襲い一挙に大金を強奪してその金で自己の生活の安定と享楽とを得ようと考えるに至つた。それで被告人は昭和二十六年二月二十七日名古屋市内の巡査派出所で拳銃を窃取するため、前記巡査部長用外套制帽等を着用して巡査部長の如く装い名古屋市に赴き、同市巡査派出所を廻り様子を窺つたが、昼間のことで遂にその機会を得なかつた。そこで被告人は午前四時ないし五時の時刻を選べば何処の派出所でも巡査が勤務を怠つて寝ている頃であるから犯行が容易であろうと考え、ちようど同時刻頃横浜到着の列車があつたので予定を変更しそれに乗車して翌二十八日午前五時過ぎ頃横浜駅に着き、前記の外套制帽等を着用の上犯行後の逃走が容易であると思われた横浜市神奈川区青木通七丁目所在同市神奈川警察署青木通巡査派出所に赴いた。そうして監督者が巡視のために来たもののように装い、同所で就寝中であつた同所勤務巡査鴨志田稔、同矢野梓の二名に対し「さぼつてはいかんじやないか」「勤務の者はすぐ勤務に就け」等と命じて矢野巡査を警らに出し更に残つた鴨志田巡査に対し「さぼつたのは連帯責任だから眠気さましに素足のままで外を走つてこい」と申向けて同巡査をも外へ出し、その隙に同所休憩室内に在つた前記鴨志田稔所持のS、W、口径〇・四五吋拳銃一挺(番号一一一七一八号)(証二十六号)(以下本件拳銃と略称する)及び実包十九発(証二十七号はその一部)警笛一個を窃取した。

第三、かくして被告人は拳銃及び実包を入手したが、当時生活費にも窮していたので前記第二記載の意図のとおり銀行襲撃を決意し、その目標として当時西宮市津門大塚町百四十一番地に所在した大和銀行西宮支店を選んだが、襲撃には自ら自動車を運転して乗付け、その車で逃走するのが安全であると考え、同年五月三十一日午前八時四十分頃右銀行の襲撃に使用するため先ず自家用自動車を奪う目的で、本件拳銃及び前記第一の窃取にかかる手錠を携え、予め買求めておいた巡査用類似のゴム製雨合羽及び革編上靴を着用し、又前記第一の窃取にかかる巡査制帽をかぶつて警察官を装い、西宮市甲子園口トキワホテル前附近へ赴き、そこで適当な自家用自動車の来るのを待つていた。するとたまたまそこを佐藤尚勝が運転する大阪伸管工業株式会社保管の四〇年型フオード自家用乗用自動車が通りかかつたのでこれを呼び止め、交通事故の取調を口実にして右車に乗り込み阪神国道を大阪方面に向わせ、同市甲子園口六丁目百五十八番地先路上を左折したところで同人に前記手錠をはめて客席に移し、その反抗を抑圧し自ら運転して目的地の大和銀行へ赴こうとした。しかし被告人にはその車の運転操作方法がわからなかつたので、止むなく同運転手の手錠をはずし、同人に再び運転せしめ又上瓦木巡査派出所附近においては偽巡査であることを看破されて、派出所に連絡されたものと思い、突然同人に所携の本件拳銃を突きつけ、「俺の仕事の妨害をするのか、いうことをきかないと射つぞ」等と申向けて同人を脅し約一時間にわたり同所から同市上之町方面を運転させたので、右車の運転操作方法を会得し、同市一里山附近武庫川堤防上に至つて漸く右車を自ら運転する自信を得た。それで再び同運転手に手錠をはめ、その両眼に予め準備しておいた絆創膏をはつて目隠をし、同人を後部座席に移してその後は自ら右車を運転し目的地へ行こうとしたが、間もなく操作を誤り右堤防下に該自動車を転落させ、その運転が不能となつたため、右自動車強取の目的を遂げなかつた。

第四、しかしてその後被告人の胸部疾患は依然思わしくなく、その療養等に月日を過し、自然前記銀行襲撃の実行も延々になつていた。ところが同年末頃にはようやく身体の調子も回復し、丁度その頃被告人が神戸市生田区北長狭通一丁目阪急電車神戸駅西口所在阪急ビル内の阪急文化劇場に映画を観に行つたところ、偶々階上事務室へ劇場事務員が現金を運ぶのを目撃したので、被告人はここに銀行襲撃のかわりに劇場を襲うて入場料金を強奪しようと考え、右阪急ビル内のO・S映画劇場神戸営業所にはその管下四映画館から多額の入場料金が集まると共に、場所的にも神戸の歓楽街に近く犯行後の逃走にも便利なところから、右O・S劇場神戸営業所の襲撃を企図するに至つた。そこで翌昭和二十七年一月二十六日午後八時三十分頃学生服の上に鼠色の合オーバーを着し、同色の中折帽を冠り、眼鏡をかけ、マスクをもつて口を覆い、本件拳銃に弾丸を装填してこれを私製革サツク(証二十九号)に差込んだ上、右阪急ビル内四階O・S映画劇場株式会社神戸営業所事務室に赴いた。そうして庶務係主任久保久弥に対し「宣伝係の者は居るか」と話し掛け、隙を窺つて所携の右拳銃を取出そうとしたが、あいにく拳銃が出なかつたので一旦引返して帰るように見せかけ、間もなく踵を返して同所入口にて同人に対し右拳銃を突きつけ、「手を上げろ」と脅迫した。しかし同人が半ば手を上げつつ椅子から立上ろうとしたので、自己に立ち向つてくるものと思い咄嗟に同人を射殺してその反抗を抑圧しようと決意し、突然右拳銃にて同人の左胸部を射撃した。そうして直ちに奥の計算室に入り同所にいた計算係尾県正治外三名にも右拳銃を突付けて同人等の反抗を抑圧し、同所机上の木箱に入れてあつた売上金の中から前記会社所有の現金約一万六千円を強奪したが、右久保を殺害するには至らず、右射撃により同人に全治約三ヶ月を要する胸腹部射創、左肺損傷、血胸、外傷性肋膜炎の傷害を負わせるにとどまつた。

第五、しかし被告人は右犯行では大金が得られず所期の目的も達し得られなかつたので、今度は当初の計画どおり銀行を襲うことにしたが、神戸で右O・S劇場の犯行を犯した直後のことであるから、神戸、大阪は当分危険であると考え、屡々京都市に出掛けて適当な銀行を物色した末、遂に京都市東山区四条通大和大路東入祇園町南側五百三十七―五番地所在の大和銀行祇園支店を襲撃することに定めた。そこで昭和二十七年二月十六日午後零時五十分頃同銀行の表戸が閉るのを待つて裏側通路から同銀行営業室内に入り、同支店長代理西村四郎三外十数名の行員及び居合せた顧客に対し所携の本件拳銃を突きつけ、「手を上げろ」「金庫の中に入れ」と脅迫して同銀行員大崎光一のみを残して全員を同銀行営業室東南隅の大金庫(約三坪)内に閉じ込めた。そうして、右大崎にも拳銃をつきつけその反抗を抑圧して、同人をして同所収納係のトランクの中から同銀行所有の現金約九十九万円を所携の風呂敷に包ましめてその後同人をも金庫内に押し入れ、用意してきた麻縄(証三号)でその金庫の扉を外からしばつた上、風呂敷に包んだ右現金約九十九万円を強取して逃走した。

第六、そうして被告人は、その後半年位にして右強取した金のうち三十万円位を生活費等に費消し、同年末頃には神戸市東灘区御影町に土地を買求め、そこに六坪位の家屋を新築して当時女子医大に通学していた有光桂子と同棲するようになつた。しかし同年八月頃から勤めていた米国船級協会も翌昭和二十八年一月頃には辞めて収入の途もなくなり、生活費や桂子の学費等にも追われるようになつたので、同年四月末には右新築の家も家財道具等と共に他へ六十万円で売渡し、実兄の住居先である神戸市須磨区大田町八丁目六の四番地に身を寄せ、同所で桂子と同居し、右売却代金を資金として株の売買を始めるようになつた。ところがそのうち兄夫婦と桂子との折合が悪くなり、同年末には桂子は実家の尼ヶ崎に帰つたが、昭和二十九年末頃には被告人も株の売買に失敗し兄からの月二千円位の小遣銭や、兄の株の無断売却金等で僅かに生活するような状態であつた。それで被告人は大和銀行祇園支店を襲い百万円程の金を手に入れたことが忘れられず、昭和三十年一月頃には再び銀行を襲撃し大金を強奪しようと企図し、今度は大阪市北浜附近ないし各ターミナル附近の銀行をその襲撃目標とし、これ等銀行を連日にわたつて物色調査した。そうして同年三月に至つて漸く大阪市東区北浜三丁目二十二番地所在東海銀行大阪支店が場所的にも逃走に容易であり、又同支店にはそれと隣接して巡査派出所があるが、同所には巡査一名が常駐しているだけであり、近くに巡査派出所のあることはかえつて銀行員の油断を誘う結果、犯行には好都合であると考え、同銀行を襲撃目標に定めたが、右計画の実行には自動車を使用することが最も便宜であると考えたので、先ず乗用自動車の強奪を企てた。そこで同年三月二十八日午前八時三十分頃国鉄神戸駅前から神戸市長田区四番町七丁目一アサヒタクシー会社運転手梅井義信の操従する同会社所有五十三年型フオード乗用車に客を装つて乗車し、阪神国道を通り、芦屋川を南下し、同日午前九時頃予ねて自動車強奪に最も適当な場所として実地に調査しておいた芦屋市平田町六十二番地長瀬彰造方玄関前路上に差しかかつた際停車を命じた。そうして所携の本件拳銃を同運転手に突きつけ、「騒ぐと射つぞ、金をとつたり命をとつたりしない、銀行を襲うから自動車を二時間程貸せ」「お前にも妻子があろうから、行きすぎたことをするな」等と申向けて同人を脅迫し、同運転手に自動車の鍵(証十六号の一部)を出させ自動車後部のトランクに入るように命じたが、同運転手がこれに応ぜず車外に飛び出し救を求めながら前記長瀬方に逃げ込もうとしたので、咄嗟に同運転手を射殺してその目的を遂げようと決意した。そこで突然所携の本件拳銃で同運転手の胸部及び頭部を射撃し、よつて同運転手をして左前胸部貫通銃創による心臓出血のため間もなく同所で死亡せしめた上右自動車を強取し、自らその自動車を運転して同日午前十時頃目的の東海銀行大阪支店附近まで来たのであるが、運転手を殺害したために心が動揺し同銀行襲撃の自信を失つたのでこれを中止し、右自動車を同区北浜四丁目三十一番地先路上に放置した。

第七、以上の如くにして被告人の計画は先ず失敗に終つたが、生活費には窮する一方であり、東海銀行大阪支店の襲撃計画を自己の一生を賭する最後の犯行と考えていた被告人は、どうしてもその計画を思い止まることが出来なかつた。そうして同年六月頃には犯行用の白手袋を購入する等して機会を窺うと共に、右計画の実行について想を練り、前記計画のうち逃走用等のため乗用自動車を強奪することに代えて今度はタクシーを利用することにし、更に前記の如く同支店には巡査派出所が隣接して設けられているから右計画達成のためには先ず同派出所の巡査を制圧せねばならぬと考え、その手段として拳銃の打殼薬きよう等を拾得物として届出るように装い、巡査の関心をそれにひきつけ、その隙に乗じて拳銃を擬して同人を脅迫し、巡査を銀行内に拉致緊縛した上金員を強奪しようと企てた。それで同年八月二十九日午後一時三十分頃小型タクシーにて前記東海銀行大阪支店東側駐車場に乗りつけ、直ちに同銀行東北端に隣接した銀行と同番地に設けられた東警察署北浜三丁目巡査派出所に赴き、同派出所にて立番中の同署巡査永田淳に対し予ねての計画どうり打殼薬きよう等(証十六号)を拾得物として届出で、隙をみて同巡査に対し所携の本件拳銃を突きつけ、「後を向け」と申し向けて同巡査を右銀行内に拉致しようとした。ところが同巡査がこれに応ぜず被告人に立ち向う気勢を示したので、咄嗟に先ず同巡査を射殺し、その妨害を排除して同銀行よりの金員強取を容易ならしめようと決意し、右拳銃にて同巡査の左前胸部を射撃して昏倒させた後、直ちに同銀行正面入口より店内に入り、更に同支店出納課長高橋一郎外百余名の行員に対し右拳銃を擬してその反抗を抑圧した上、カウンターを乗りこえて出納課内に押入り、同所床の上にあつたその直前同銀行が日本銀行から受領してきてズツク製現送袋(証十八号)に入れたままの同支店長白石治基保管の現金五百万円(百万円束五束)を強奪した。しかして前記永田巡査をして被告人の右射撃により左前胸部盲管銃創による心臓出血失血のため前記派出所附近で間もなく死亡するに至らしめた。

第八、かくして被告人は右現金五百万円を強奪後、直ちに同銀行正面入口から屋外東側の中橋筋に逃れ出たが、逃走を企て、右中橋筋と今橋通との交叉点附近で折から同所を通りかかつた三木昭造の運転する株式会社オー・エム紡機製作所の自家用自動車(大三―八一一一号)を呼びとめ、同運転手に拳銃をつきつけつつこれに乗車進発せしめ、右犯行直後より被告人を逮捕するため追尾してきた同銀行員佐藤博司、曽根崎警察署佐々木末雄巡査等乗車のタクシーの追跡を受けながら同運転手に指示して堺筋を北進し、電停北浜二丁目交叉点、鳴尾町、南森町交叉点を経て扇橋交叉点を左折して国鉄大阪駅方面に向い、大融寺町附近で右折して市電天六線に出で、電停中崎町、天六交叉点を経て、天神橋筋を北進し、更に電停天神橋七丁目附近で左折せしめた上、同日午後二時前頃同市大淀区本庄川崎町三丁目十四番地大阪染工株式会社本庄工場正門前附近路上に差しかかつた。ところがその時同運転手が故意に自動車をとめ、前記追跡者等と協力して被告人を逮捕しようとする態度を示したので、同運転手を射殺して逮捕を免れようと決意し、本件拳拳にて右自動車外へ逃れようとする同人を射撃し、よつて左胸部盲管銃創による心嚢内血液タンポナーデのため間もなく同人をその附近で死亡するに至らしめた。

第九、そうして被告人は右三木運転手を射殺後右自動車を捨て、なおも前記佐々木巡査等の追跡をうけながら同区同町二丁目十九番地神崎敏広方角まで逃げのび、折から同所を通りかかつた小笠清運転のスクーターに合乗りして更に同区本庄中通方面に西進し、同区本庄中通二丁目一番地足立松太郎方前を左折して南下し、電停中崎町交叉点附近で右スクーターから降りてそこを更に左折し、同日午後二時過ぎ頃同市北区中崎町十七番地梅屋旅館に一旦逃げ込んだ。そうして再び同旅館表玄関より道路上に出で、その頃同旅館玄関前に停車していた大住一運転のトヨペツト(小型四輪運搬車)の後部荷台に飛び乗り、背後より同運転手に本件拳銃を突きつけて発車せしめ逃走しようとしたところが、その時前記佐々木巡査等に協力して被告人逮捕に当つていた曽根崎警察署勤務巡査二出川忠生が被告人を逮捕しようとして拳銃を擬しつつ被告人の乗車していた前記トヨペツトに接近してきたので、被告人は右二出川巡査をも射殺して逃走しようと決意し、突然同車上から右拳銃にて同巡査を狙撃してその弾丸を同巡査の右肩部に命中せしめた。しかし同巡査を殺害するには至らず、同人に対し全治約五ヶ月間を要する右肩部盲管銃創右鎖骨々折、右血胸の傷害を負わせた。

ものである。

≪証拠≫ 略

なお、被告人は昭和二十八年五月十六日灘簡易裁判所において傷害罪により罰金三千円の裁判を受け、同裁判は同年同月二十七日確定したものであるが、右の事実は被告人の当公廷の供述及び神戸地方検察庁の被告人の前科取調回答書の記載によつてこれを認める。

法律に照らすに、被告人の判示第一、第二の各所為はいずれも刑法第二百三十五条に、判示第三の所為は同法第二百三十六条第一項、第二百四十三条に、判示第四、第九の各所為はいずれも同法第二百四十条後段、第二百四十三条に、判示第五の所為は同法第二百三十六条第一項に、判示第六、第七、第八の各所為はいずれも同法第二百四十条後段にそれぞれ該当するところ、以上のうち判示第一ないし第五の罪は前示確定裁判のあつた罪と同法第四十五条後段の併合罪であるから同法第五十条により未だ裁判を経ない右第一ないし第五の各罪について処断すべく、判示第四の強盗殺人未遂の罪については所定刑中無期懲役刑を選択し、更に同法第四十三条前段、第六十八条第二号によりこれに未遂減軽をなした上、同法第四十七条、第十条により最も重い右強盗殺人未遂罪の刑に同法第十四条の制限内で法定の加重をなした刑期範囲内で被告人を懲役十五年に処し、判示第六ないし第九の各罪は同法第四十五条前段の併合罪であるところ、本件犯罪の情状に鑑み判示第七の強盗殺人罪につき所定刑中死刑を選択して被告人を死刑に処し、従つて同法第四十六条第一項の規定に従い被告人には没収以外の他の刑を科さない。しかして、領置にかかる主文第二項掲記の麻縄一本(証三号)は判示第五の犯行に供したもので、被告人以外のものに属しないから同法第十九条第一項第二号、第二項によりこれを沒収し、又主文第三項掲記の各物件はそれぞれ判示第一、第二、第六、第七の各犯行による賍物であつて各被害者に還付する理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三百四十七条第一項に従いその記載のとおり各これをその被害者に還付することとし、訴訟費用については同法第百八十一条第一項但書により被告人にはこれを負担せしめないこととする。

弁護人の主張に対する判断

一、判示第七の所為は永田巡査に対する殺人の罪と銀行の行金五百万円の強盗の罪との併合罪であるとの弁護人の主張について、

判示第七の所為を所論のような殺人罪と強盗罪との併合罪とみるべきか或は右両罪の結合した強盗殺人罪の一罪と解すべきかについては主観客観の両面より考察するの要がある。ところで、前記証拠により先ずこれを主観的方面よりみると、被告人が北浜巡査派出所の永田巡査を射殺したのは、東海銀行大阪支店より金員を強取するに際し、同支店に隣接して設けられた巡査派出所に立番勤務中の巡査のいることは、右犯行の決行及び逃走に際し妨害となるから、先ず同巡査を制圧せんとしてなしたものであり、換言すれば被告人の同巡査殺害の意図は行金強取の目的遂行のために最も有力な障害を排除せんとするにあつたのであつて、右殺害行為は被告人においては行金強取のための一つの手段としか考えていなかつたことが明らかである。次いでこれを客観的方面より考察すると、右巡査派出所は銀行と同番地、同敷地内の東北端にこれと極めて隣接して設けられ、銀行の正面出入口よりは約十一米、東出入口からは約九・五米、東側通用門からは約十五米の地点にあつて、派出所内においては右銀行内或はその附近における犯罪は容易に察知することができ、又それを直ちに阻止し得る状況にあるのみならず、銀行の出入口は前記以外にはなく、逃走に際しては右派出所附近を通過しなければならない地形であることが明白であり、しかも同派出所に勤務するものは一般民間人でなく犯罪の予防鎮圧を職責とする派出所勤務の巡査であつてみれば、同銀行の行金を強取せんとするにおいては、右巡査の存在が最も大きい障害であることも容易にこれを了解し得るところである。従つて以上のような主観的客観的状況に、右殺人行為と行金の強取行為とが時間的、場所的に極めて接着して行われ実体法的訴訟法的評価においても密接不可分の関係にあることをも併せ考えて見ると、永田巡査に対する殺害行為は本件行金強取行為の一部をなすもの(すなわち、右両者が結合し強盗殺人罪の一罪を構成する)と解するを相当とするから、この両者を分離しこれを殺人罪と強盗罪の併合罪とする所論は到底採用しがたい。

一、判示第八の所為は殺人罪、第九の所為は傷害罪であるとの弁護人の主張について、

判示第九の二出川巡査に対する拳銃の発射が殺意をもつてなされ、しかも殺害の目的を達しなかつたものであることは既に判示のとおりである。しかして強盗殺人罪或は強盗殺人未遂罪は強盗をなす機会において殺人行為或は殺人未遂行為を犯すことによつて成立すると解すべきところ、判示の証拠によれば被告人は判示第七における強盗の直後より被告人を逮捕に向つた警察官等のため追跡せられ、その追跡継続中逮捕を免れるため判示第八、第九のような各犯行を重ねたもので、右各犯行の場所は被告人が逃走に自動車等を利用したため、第七の強盗現場からは若干離れてはいるが、時間的には第七の強盗直後よりいずれもせいぜい三十分を出でないし又右第八、第九の各犯行を犯した当時は判示第七の強盗直後から引続き多数の警察官等に追跡を受け、未だ右強盗の機会継続中の状態にあつたものといえるから、右第八、第九の各犯行は、右第七の強盗の機会においてなされたものと解するを相当とし、従つて、それは強盗殺人罪或は強盗殺人未遂罪を構成し、単なる殺人罪或は傷害罪と見るべきではない。所論はこれを採用しない。

なお被告人の本件犯行当時の精神状態について附言するに鑑定人長山泰政作成の鑑定書、本件各証拠によつて窺われる本件各犯行の動機態容、犯行前後の行動態度並びに被告人の当公廷における供述態度等に徴し被告人が本件各犯行当時心神喪失ないし心神耗弱の状態になかつたことは明らかである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西尾貢一 裁判官 家村繁治 裁判官 梅垣栄蔵)

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